King Crimson / In The Court Of The Crimson King (1969)

最近、イタリアのプログレシッヴ・ロックからもすっかり遠ざかっているところで(nicohoiさんにご紹介いただいた書籍すら未入手という有り様で申し訳ございません)、恐れ多くもKing Crimsonの傑作デビュー盤、『In The Court Of The Crimson King』(1969)を取り上げてみます。邦題、『クリムゾン・キングの宮殿』ですね。
実は30歳を過ぎてからの手習い、聴き始めて5年くらいしか経っていません。
プログレシッヴ・ロック自体に馴染みがなかったので。名盤カタログなんかでジャケット・アートを目にしてどんな音なんだろかと思いを巡らすだけでした。この手の名盤の類はいつでも聞けるだろうと靍を括っていた訳です。
しかし、この強烈なジャケット・アートはまさに時代を超越していますよね。その割にはこのジャケットを見て自分には関係ないと思うのと面白そうだから聞いてやろうというのに別れそうですよね、はっきりと。
年明けに雑誌『ストレンジ・デイズ』の連載を単行本化した『クリムゾン・キングの宮殿~風に語りて』という本を数ヶ月がかりで読了。未だにちょこちょこ読み直しております、借り物なのに。
そんなこともありまして今回、普段から重過ぎる腰を上げてみようかと。
まず、頭を過ぎるのはロック・バンドというものに幻想を抱いていたんだなということです。いきなり音盤からかけ離れたことを口走ってはいますけれども。
“気の合う仲間と一緒に音を出して楽しく演ってます”、なんてことはあるとしても長くは続かないのかなと。バンド経験者の方なら合点がいったり異論もおありかと存じますが、こちらはついつい脳内美化してしまうものですので。
この世紀の大傑作にしてもその誕生の過程や前後における内情たるや件の本を読む限り、易々と想像を絶します。King Crimsonだからということも多分にある訳ですけれども。
これは音盤と切り離して考えなくてはならないのかも知れませんけれど、人のやることです。組織の中で人と人がぶつかり合う訳です。
高まる葛藤や渦巻く疑念、入り乱れる思惑が複雑に絡まり合う。地域でも団体でも企業でもどこにでもある話です。
そこには創造性だとか美の追求だかという一見、崇高な枠組みとさらにはショウ・ビジネスという土台があったりして人間関係の厄介なしがらみもより一層に泥沼化してしまうようです。
そうやって生み出された1枚です。その完成度、到達点、そして売上とどれを鑑みても奇跡としか考えられません。
そんなブツを今でも気軽に手に取ることが出来るのですから、高音質HQCD仕様なんていう小細工を少しは有り難がっても良いのかも知れません。>んなこたないない
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