東日本大震災
まずはこのたびの震災に被災された方々に対して心よりお見舞い申し上げます。
あれから1週間が経ちました。3月11日、14時46分頃だったんですね。普段通りに業務に勤しんでいた訳です。
今までにない揺れの大きさと長さにはさすがに驚かされました。地震に対する恐怖感というものはそれほどでもないので割と平常心でいられました。
職場でどうしてもやらなければならないことを手分けをして終わらせるとすでに体力的に厳しかったので、帰宅することを早々に諦めました。その夜、私を含め10人弱が職場に泊まり込みました。
気になる夕食についてはデパートの地階やコンビニエンスストアを諦め、公衆電話に行列が出来ているのを尻目にいつも炊きたての白米を盛ってくれる弁当屋から調達しました。空腹が満たされると何かと安心することが出来ますからね。
日付が変わった後には随時、悲惨な情報が飛び込んで来るインターネットも遮断してうたた寝するくらいは出来たんですが、慣れない環境と予断を許さない余震のためにTwitterのタイムラインを眺めたりつぶやいたりして朝を迎えました。1週間が経った今でも職場の椅子に座っていると揺れを錯覚します。
12日の午前中には帰宅することが出来ました。自宅については家財道具に異常はなく、無茶な平積みをしておいたCDの山が崩れてその直撃を食らったワイヤレスキーボードが吹っ飛んだとかその程度で済みました。そうは言ってもしばらくは呆然としていましたけども。
もう今から認識やら意識を変えて行かざるを得ないことを実感します。価値観も変わらざるを得ないです。
今回の地震が引き起こした津波によって原子力発電所まで危機にさらされてしまっているからです。一昨日、計画停電をゴールデンタイムに経験したことでとても切実な気持ちになりました。電気がないと何もすることが出来ないんです。
これからは注意深く慎重に、時には思い切ってそれぞれがやれることをやるしかありませんね。
あれから1週間が経ちました。3月11日、14時46分頃だったんですね。普段通りに業務に勤しんでいた訳です。
今までにない揺れの大きさと長さにはさすがに驚かされました。地震に対する恐怖感というものはそれほどでもないので割と平常心でいられました。
職場でどうしてもやらなければならないことを手分けをして終わらせるとすでに体力的に厳しかったので、帰宅することを早々に諦めました。その夜、私を含め10人弱が職場に泊まり込みました。
気になる夕食についてはデパートの地階やコンビニエンスストアを諦め、公衆電話に行列が出来ているのを尻目にいつも炊きたての白米を盛ってくれる弁当屋から調達しました。空腹が満たされると何かと安心することが出来ますからね。
日付が変わった後には随時、悲惨な情報が飛び込んで来るインターネットも遮断してうたた寝するくらいは出来たんですが、慣れない環境と予断を許さない余震のためにTwitterのタイムラインを眺めたりつぶやいたりして朝を迎えました。1週間が経った今でも職場の椅子に座っていると揺れを錯覚します。
12日の午前中には帰宅することが出来ました。自宅については家財道具に異常はなく、無茶な平積みをしておいたCDの山が崩れてその直撃を食らったワイヤレスキーボードが吹っ飛んだとかその程度で済みました。そうは言ってもしばらくは呆然としていましたけども。
もう今から認識やら意識を変えて行かざるを得ないことを実感します。価値観も変わらざるを得ないです。
今回の地震が引き起こした津波によって原子力発電所まで危機にさらされてしまっているからです。一昨日、計画停電をゴールデンタイムに経験したことでとても切実な気持ちになりました。電気がないと何もすることが出来ないんです。
これからは注意深く慎重に、時には思い切ってそれぞれがやれることをやるしかありませんね。
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